

だから、あえて、悩む道を選ぶ。
懊悩
人を治療するということ。
人を治すと言うこと。
人をよくすると言うこと。
人の身体を
人の心を
ひとりの人間である自分が、
扱うと言うことの
恐ろしさ、愚かさ。
常に
本当にこれで良いのだろうか。と
自分の行いが間違っていないだろうか、
自分がいかに恐ろしいことをしているのか。
ありとあらゆる感情を引き連れて
倫理観を持ちながら
いろんな観点から物をみて、
それと向き合えるほどの器量と
それと向かい合い続けるだけの根気と
絶え間ない情熱と
それを扱えるほどの叡智が伴わなければ。
そうでなければ、
決して足を踏み入れては行けない。
この信念と覚悟を肝に銘じて
苦しくとも、
これを手放さぬように
ずっと懊悩していきたい。
きっと
この懊悩が消えることは
これから先もないだろう。
安堵することも、解放されることも、
決してないだろう。
そしてそのようなことは決してあってはならなぬのだから。
無くしてはならない、
悩みなのだろう。
たとえ孤独になろうとも、
この悩みをなくすなど、
この悩みを解決しようなど、
報われようなど、
これほど浅はかなものはない。
だから、
懊悩し続ける。
それがきっと
私の道であるように思う。
私は今日も
この懊悩に背を向けず
決してむげにせず、
大事に扱いながら、
石を積もうと思う。