立川せんせいの自由帳

燕たちに込めた想い。

院に来たことがある人は知っているけれど、うちの院には、燕たちがいますね。

ホームページにも、チラシにもいますね。

そう、この子達です。

可愛いねえ。

今日も一生懸命だねぇ。

今日はこの燕たちに込めた想いを

書いておこうと思います。

私が幼い頃住んでいた場所は、

佐賀のど田舎で、周りは田んぼだらけ。むしろ、田んぼ、しか、ねえ。笑

そう、誰かも言ってましたね、『まるで弥生時代〜♪』

そして、おんぼろの家からチャリでちょろちょろっと行けば波止場があり、そこの堤防のウィーンと曲がったところが私のいつもの定位置でした。

そこに寝転んで空を見たり、そこで水平線を眺めたり、波の音を聞いたり、干潟を眺めたり、今の時期なら田んぼの稲穂を眺めたり、そうして日暮までいて、父親の船の音が聞こえたら、ばれんようにこっそり帰る。そんな感じ。

なんもない。笑。いやほんと、まじで、なんもない。笑

そうやってね毎日毎日飽きもせず、

ただじーっとそこに佇んでね。

そこが居場所でね。

春になるとね、

燕たちがね、あったかい土地を求めて、子育てのために帰ってくるんです。

それが好きでね。

ある日ね、

いつものように波止場の堤防に腰掛けて遠くに広がる干潟を見ていたら、

ふと、

一羽の燕が、私の横にとまったんです。

するとね、

ふと横目で見た燕の方から、

『ふぅーーーー。』

ってね、ため息が聞こえたんです。

(そう感じただけかもね)

でも、私には確かに、燕から、ふぅ。ってため息のような声が聞こえたんです。

その時にね、

『ああ、つばめたちは遠く遥々、海を渡ってきたんだなぁ。』

って思ってね、

想像してみたんです。

一度大海原にでたら、羽を休める小枝もない。

それでもずっと息を切らして、

羽を休めることなく、飛び続けるしかないんだよなって。

はぐれまいと、一生懸命群れの中で懸命に羽を広げて。

その時にふと、

こんなところでよかったら、どうぞここで、ゆっくりして行きな。って声をかけたくなったんです。

さぞ疲れたろう、

こんなに小さな身体で、一生懸命羽ばたいて、

さぞ、疲れたろうな。って。

あの小さな背中をさすってあげたいような気持ちになったのを今でもはっきり覚えています。

だから、

燕から聞こえた、あの『ふぅーー。』

って吐息のような、ため息みたいな声が、

不思議に思いもしなかったんです。

『そら、燕も、疲れるわな。』って

だから、

燕がね、ふと羽を休めることができるようなそんな止まり木になれたら、

いいなって思ったんです。

できればそこが安全で、

心が安心できて、

ここなら子育てしてもいいかなって、思ってもらえるような、

そんな場所に、

そんな止まり木になれたらいいなって

思ったんです。

だから、

どうしても、

自分の院を作る時は、

この『燕たち』を、モチーフに入れたかったんです。

そんな想いの詰まった、可愛い燕たちです。

今日も一生懸命子育て頑張ってる燕たち。

私には子供がいないから、こんなふうに生きることはできないけれど、

せめて止まり木になれたら、

いいなと思ってます。

ふと羽が休めて、

愚痴を吐いたり、

ため息ついたり、

あくびができたり、背伸びができたり、

汗を拭えたり、

涙を拭えたり。

次に羽ばたく時は、

いってらっしゃい、

帰ってきたらおかえり、

そんな、ふぅっと、

ほぉっと、

自分の素に戻れるような、

そんな院であれたら、

そんな人であれたら、

そんな想いを込めました。